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夢の留学 1

夢の留学        八代洋子
   1.日本出帆
スラバヤ丸出帆1

 「ボ―ッ、ボ―ッ・・・」と気笛の音が鳴り渡ると、一隻の中型貨物船が横浜港の桟橋を静かに滑り出した。船上のデッキに2メートルほどの間隔をおいて立った若者5人から、色とりどりのテープが次々に投げられる。それを下の桟橋でうまくキャッチする者、拾う者、総勢百人あまりの見送りの人々。万歳!!さようなら!の叫び声。別れの歌や校歌を歌い出す学生たち。中には涙ぐみハンカチを目にあてている者たちもいた。

 写真左: 左端でテープを投げる洋子  少し離れて:入江昭 後にハーヴァード大学教授となり現在も在米





スラバヤ丸出帆2

写真右: 左から入江昭、船長、月井美智子、久山(私の旧姓)洋子、吉田昌夫、伊藤雄二、航海士二人

1953年(昭和28年)8月22日午前7時、日本郵船の貨物船スラバヤ丸は5人の留学生を乗せて、サンフランシスコへ向け横浜港を出帆した。女性が二人、その一人が私である。出帆予定だった前日の午後には、記録破りの猛暑の中をもっと多くの人々が、花束やお菓子を持って船内まで見送りに来たのだが、船の積み荷の都合で翌早朝に延びた。「明日は朝早いからわざわざ来ないでね」と言ってあったのだが、元気な若者達はやって来た。

 講話条約締結後やっと2年を経たところで、一般人の海外渡航は船、それさえめずらしかった。1ドル360円、当時の日本人の所得水準からすれば留学は夢のまた夢だった。誰でも気軽に海外旅行出来る現在からは想像もつかないだろう。いったん日本を離れれば4年の大学留学期間中に帰国することはまず無理だった。海外への電話も予約して電話局まで行かねばならない時代だった。それで、見送りも盛大になったというわけだ。

この夢の留学のチャンスを私が掴んだ経緯を次号でお話したいと思う。

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早く次号を読みたいです。

留学のチャンスを掴んだ経緯もさることながら、夢の留学をしたかった「動機」も織り交ぜてくださると嬉しいです。

入江昭氏は国際政治がご専門の良識的な研究者ですね。現在でも日本外交について積極的に氏のお考えを発信されていますね。
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