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イエスの復活

復活の証人
 
     八代崇 

 もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。     (I コリント15:14)

 イースターおめでとうがざいます。
 
 聖パウロ桜咲く新座キャンパス
気温の温暖な日本では、イースターといっても年五十二回ある日曜日のうちの一つでしかありえませんが、長く厳しい冬を過ごす北欧の人々にとっては、イースターはまさにすべてのものの「復活」を祝い、喜ぶ日であり、一年のうちの最大の祭りの日です。一切のものが死に絶えたかと思われた野山に、あたかも神の子の復活に共に与るかのように、新しい生命の兆しが現われます。

「主は、ほんとうによみがえって、シモンに現われなさった。」(ルカ24・34)とは多くの人の実感なのです。
 
 「死人のよみがえり」と言えば、そんな馬鹿なことがという答えが返ってきそうです。しかし、キリストの復活を信じられないのは、科学技術の発達した現代人だけではありません。教会の始まりの時から多くのユダヤ人やギリシャ人にとってキリストの復活は馬鹿げたことでした。主イエスの始めた運動は、十字架上の死とともに終わるはずであったのです。
(写真上:立教学院新座キャンパス・聖パウロ礼拝堂と桜)
  
 英国旅行中の写真058
大工のせがれであった只の人が十字架上で刑死した場合、考えられる最も自然な結末は、そのまま忘れられてしまうということです。福音書は、ペテロを始めとする主イエスの弟子たちはかかわり合いを恐れて皆逃げ去ったと記しています。

 このようにかかわり合いを恐れて逃げ出した弟子たちが、それではなぜ死にもの狂いになって、この只の人、大工のせがれの名を宣教し、この名の外には救いはないと主張するようになったのでしょうか。

 また、教会が地中海世界に進出したとき、外にも「神々の死と復活」を色々な形で教える宗教が多く存在したのに、なぜキリスト教だけが最後の勝利を握りえたのでしょうか。

 その理由は、キリスト復活であったというのがパウロ以来教会が二千年来主張し続けてきたことです。主イエスを見捨てた弟子たちが、復活のキリストを体験して信仰にめざめ、希望と力をもったのです。それがどのような体験であったかは私たちには解かりませんが、彼らは口を揃えて、自分たちはキリストの復活の証人であると言っています。
 (写真右:英国留学中に撮影した春の景色)
 野のユリ
日本人は宗教をとかく「教え」ととらえがちですが、キリスト教に関するかぎり、主イエスの語られた「教え」ではなく、行われた「救いの業 ― 誕生、宣教、癒し、死、復活、昇天 ―」が教会を成立させました。たとえ主イエスが百万言を費やして説教されたとしても、その死とよみがえりがなかったらキリスト教は成り立たなかったのです。
 
 イースターは私たち一人ひとりに、復活の証人である使徒たちの証言をどのように受け止めるかを問いかけます。私たちもまた、世々のキリスト者」と共に「復活の証人」となりえるでしょうか。

 (写真左:日本での撮影・山百合)

(北関東教区時報147号  1985年4月)

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1996年の北関東教区宣教100周年を記念した八代主教の説教録(?)の中で私が一番記憶に残っているのは「『教え』を宣べるのではなく『道』を伝える」ことの重要性に主教が言及された箇所です。
今回の教区時報の表現で言えば「日本人は宗教をとかく「教え」ととらえがちですが、キリスト教に関するかぎり、主イエスの語られた「教え」ではなく、行われた「救いの業 ― 誕生、宣教、癒し、死、復活、昇天 ―」が教会を成立させました。」というお話の中に主教のお考えが表明されていると思います。
かくいう私も以前はキリスト教はある種の「教え」だと考えたことがありますが、主教の説教から「伝道」すなわち「道を伝える」ことがキリスト者として大切であると気づかされました。
確かに私も多くの方々の信仰をもった生き方に触れ、イエス様を伝えられたと思います。
そういうことに思いを巡らせると、信仰に満ち満ちた証人たちの「行い」を描いた八代主教の最後の著書、<信仰に命を懸けた人々>という標題は、主教のお考えを一言で表したものだと思います。
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