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八代斌助

寸描 八代斌助  
      オックスフォード神学博士となった八代斌助として朝日新聞に掲載された(1958年)。
  
 日本聖公会というのは明治二十年イギリス教会伝道会社、アメリカ監督教会など三派が日本につくった一教派。この教派はすべて監督(主教)政治をとり、全国をいくつかの教区、地方部にわけて三年に一度立法、教務に関する協議をする。だから総裁の地位は非常に高い。現在教会は約三百。立教大学、聖路加病院などの学校、病院も経営しているが、彼はこのうち立教大学、聖路加病院をはじめ、神戸の松蔭女子学院、大阪の桃山学院の理事長など十数の要職を兼ねている。
  
 八代ひん助 58歳の頃縮小
デップリ肥った体格、酒も飲めば、タバコもやる。十一人の子持ち。戦後はいち早くGHQの関係で英、米、東南アジアを宗教、親善使節として回ったのをはじめ、外遊は十二回をかぞえる。すべて神学博士というワクでは考えられないエネルギッシュな性格を物語っている。
 
 立教大学を卒業後イギリスの聖公会ケラム神学校に学んだという同教派直系の学歴がものをいって、イギリスでは宗教界をはじめ知人が多い。昨年、英水爆実験反対の政府使節として白羽の矢が立てられたとき、日本では彼の名をはじめて知った人が多かったが、イギリス本国では「八代来る」と新聞がトップ記事であつかったほどすでに“名士”になっていた。だから彼の社会感覚も日本人ばなれのしたスケールの大きさを持っている。政府使節を辞退したのも「宗教家はあくまで政治に支配されてはならぬ」という理由だったが、一部の人からは、日本人の感情に背をむけたオポチュニストだと批判された。

 彼はよく“摂理”という言葉をつかう。「すべてこの世にあるものは神のみ心であり、自然のままであるがよい」のだそうだが、よほど自分の立場をはっきりさせておかぬと、この考えは無思想に通じるからだ。函館生まれ、父も聖公会の牧師。祖父は秋田で勤王塾を開いていた。神戸に来たのは大正十三年、海員ホームの建設にも努力した。五十八歳。(日本聖公会総裁主教)


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