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八代先生の思い出

八代先生の思い出  八木基督教会信徒  豊田洋一

 早いもので八代先生が召されて二カ月が過ぎようとしています。思い出を何かと言われて先ず浮かんでくるのは、あのやさしい柔和な笑顔と歯切れのよい低音の語り口です。
 
 八木での司牧中、怒りの顔を見たことがありません。先生の数少ない牧会の最初の地、八木へ来られたのは、当時後任の牧師がなく困っていることを聞かされた先代の斌助主教が、「私の息子に一人おるから」と当時桃山学院大学で教鞭を取っておられた崇先生を遣わして下さったのが昭和40年でした。

 当時八木は前任者の頃から青年会が徐々に増え活発になってきた中で僕もその一人でその後六年弱の八代時代に青春を教会で過ごした訳ですが、正直言って当時は八代先生の偉大さは深く理解できず、ただ非常やさしく抱擁力のある方で、居心地がよく、気がつくと足が教会へ向かっていました。皆も同じ思いか、若者がどんどん増えて多い時には100人を越える青年会になっていました。しかし、後年になってこれが時代の流れのみでなく、八代先生の影の力が非常に大きかったのが判ってきました。

 土曜日の午後になると自然と教会へ集まって来た者が議論や活動、娯楽に興じ大部分がそのまま教会で夜明かしをして日曜日の礼拝中は二階で夢の中、礼拝が終わる頃に起き出してくる始末。当時の教会の中心だった長老から当然文句も出ます。先生はその間に立って風当たりをうまく流し、青年会には思う存分活動出来る場や資金を引き出して下さったこと

八木基督教会野球チーム縮小 また、夏のキャンプで女子が参加するのに時代や土地柄、抵抗が多かったところ、親を訪ねて説得して下さったこと。日曜学校の子供達を集めるのに自家用車で自分の子供も乗せて信者さんの家を回られたこと。またキャンプ中はスタンツでの女装や腹に絵具で大きな目鼻を書いての腹芸で皆を楽しませて下さったこと等。
非常に強力なバックアップをしながらそれを感じさせない配慮や暖かさ、また相談を持ちかけると「うんうん、それで」と、聞き上手で話し易く「それでどうしたいの?」と自然にカウンセリングされてしまっていたこと等、思い出は尽きません。

 最後にお会いした今年の二月、先生の第一声は「こんなになっちゃったよ」と骨ばかりになった手を挙げて、まるで第三者のごとく自分を見つめ、それでいて悲しみを感じさせまいとして下さる配慮に昔の先生の姿を重ねていました。今も低く少ししゃがれて、歯切れのよい先生の声が聞こえてきます。
 「じゃ、またな。」

 (八代主教〈当時は司祭〉は、八木基督教会の牧師として1965~71年までお働きになれました。魂の平安を祈ります)京都教区便り「つのぶえ」1997.6.20

写真 八木基督教会野球チーム: 前列 左端 八代崇  前列 右から二人目 筆者の豊田洋一さん

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