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八代崇先生を偲んで  朝比奈誼

 私はフランス語の教員ですし、所属する教授会も違いました。ですから、普通の教員生活を通していたなら、文学部キリスト教学科の八代先生とはお近づきになることもなく、まして今日このような場に立つこともなかったはずなのです。

 ところが、学生部の仕事が思いがけず、先生と私を結びつけることになりました。1977年ですから思えば今から丁度20年前のことになりますが、八代先生は学生部長に就任されました。その一年前から副部長の任務についていた関係で、私は仕事の上で、にわかに先生とお近づきになったばかりでなく、先生のお人柄に親しく触れるというかけがえのないチャンスに恵まれることになったのでした。

 ご記憶の方が多いと思いますが、当時は五号館前庭でヘルメットの集団同士がゲバ棒をふるい、血が流れるという時代でした。その時にあたって八代先生は学生部長という誰もが敬遠する厄介な職務を敢然とお引受けになったのです。なんと天晴なお覚悟でしょう。私は敬意と期待をもって先生の登場を待ちました。

 学生部長として朝比奈副部長、笠井課長と共に 2
ところが、先生は学生部の部屋に出入りされて二日目に、何と目のまわりに赤紫色の痣をつけて出勤なさったのでした。その前夜、先生は「今後よろしく」ということで私を含めた学生部の何人かと池袋でお飲みになりました。その後、当時学生部の厚生課長であった笠井さんが同じ東上線仲間だったというので、駅で手を振って別れました。その東上線の車内で何が原因かはともかく、酔っぱらいの乗客と口論になり、途中駅でおりて決着をつけようという事態に陥った。その挙句、相手のパンチがまともに先生の顔面に命中した、という次第だったのです。まるで道化役者の顔に絵具を塗ったみたいな派手なマークでした。当の先生はケロットしたご様子で、私たちに武勇伝の解説をする笠井さんの方がよっぽど興奮している感じでした。実に型破りの鮮烈なデビューでした。

 写真は学生部長時代の八代崇(左端)
        朝比奈副部長(八代の隣)
        笠井課長  (朝比奈副部長の隣)

 それというのも予備知識として「先生は八代元学院長の令息である。聖公会の聖職者である。イギリス教会史を専攻する研究者である」と聞かされていたために、何というわけもなく、先生を迎える私の意識の中に固く身構える姿勢ができあがっていたのです。

 ところが先生は実にあっさりと、上辺に囚われた私の浅薄な見方を覆してしまわれたのでした。そんな家柄だとか、経歴だとか、あるいは学生部長だとか、それが人生にとって一体何だというのか。自分はこれこの通り、ただの人間として生きている。酒も飲めば酔っ払うし、ケンカもするし、時には殴られもする。殴られて腫れあがった顔はみっともないが、私はそれを隠そうとは思わない。これが私なのだ。これが人間なのだ。むろん、そんな風に私を諭そうとしてわざわざケンカをなさったはずはありませんが、先生の無言の教えに、私はまるで自分がパンチを食らったかのような衝撃を受けたのでした。

 それからしばらくして、学生向けに配布される「学生部通信」に先生の挨拶が掲載されました。ところが、これがまた実に型破りで、題して「グウタラオヤジの効用」というのです。開設されて間もない清里のセミナー・ハウスで先生の司会で「親と子」というテーマのセミナーがあったのですが、その時の感想を語りつつ、お子さんたちからご自身が「ダメオヤジ、あるいはグウタラオヤジと思われている」ことを告白なさると見せかけた文章でした。

「見せかけた」という意味は、先生は「酒を飲んで夜遅く帰るしか能がない」こと、そういうオヤジに反発する息子さんとは何年も会話をしていないことを、ありていに公表する一方で、近年さかんにとり沙汰される「大学生の無気力とか甘えとか」への対策をさりげなく提出なさっているからです。先生はお書きになりました。

「親や教師に反発することすらできないほど今の学生は無気力なのだろうか。親に甘えられないので、教師や職員や仲間の学生に甘えようとするのであろうか。もしそうであれば、グウタラオヤジの存在理由もありそうである。せいぜいムスコやムスメどもの反発を引き起こせる存在でありうることは結構なことであろう。グウタラオヤジへの反発を契機として彼らが自立しえたとしたら、すばらしいことではないか」

 先日、先生をお送りするお通夜のしめくくりにご令息が遺族を代表して挨拶なさった際、先生がなげいておられた親子の断絶が解消して、お二人の和解が成立したこと、ご令息は「グウタラオヤジの効用」のおかげで先生の期待どおり、いや期待以上に立派に自立なさったことを目のあたりにいたしました。私は先生のご満悦のほどをお察しするとともに、「グウタラオヤジでありつつ、なお眼に見えないつっかえ棒を差しのべる」とお書きになった先生のお人柄の暖かさ、大きさにあらためて打たれたのでした。

 学生部を離れてからは、先生が立教学院長をなさっていた時期も含めて、お目にかかるチャンスはほとんどありませんでした。この正月、甲藤さんと久しぶりに酒を飲んだ折、先生をお見舞いする話が出たのですが、果たせませんでした。まことに残念です。しかし私の心に刻まれた先生のお教えは、先生が昇天された今、かえって生き生きとしてくるように思います。それを糧にして、もうさほど長いとは思えない余生を全うしたいと思います。先生、どうもありがとうございました。心からご冥福をお祈りいたします。

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