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カンタベリー展 講話(その2)の内容 

カンタベリー展における講話
カンタベリー大主教のロンドン公邸ランべス・パレスから初めて貸し出された肖像画3点についての解説

1. 第69代 トマス・クランマー大主教 (1489~1556)

 トマス・クランマー大主教
1534年、イングランド王ヘンリー8世は、王妃キャサリンとの結婚問題がこじれると、英国の教会をローマ・カトリック教会から分離させ自らを教会の最高首長とした。(『国王至上法』)

 このヘンリー8世を助けて宗教改革の推進者となったのが、クランマー大主教。最初の英語祈祷書(1549)の作成者であり、ヘンリー8世に英語聖書を公認させた人としても名を残した。

 1553年に英国聖公会の新しい教義的立場を明確化した『42箇条』を作成したが、メアリ1世(ヘンリー8世とキャサリンの娘)が登位すると、クランマー大主教は英国教会をローマ・カトリックから分離させ、伝統的教義を否認した異端者として火刑に処せられた。





2. 第71代 マシュー・パーカー大主教 (1504~1574)

 マシュー・パーカー大主教
1558年11月、英国を近世における世界の雄に仕立て上げるのに功績の大きかったエリザベス1世が25歳で登位した。

 エリザベスは『国王至上法』を可決させて、英国を再びローマ・カトリック教会から離反させ、英国教会をローマ・カトリックとプロテスタントとの中道的な教会として確立しようとした。エリザベスの宗教的解決を支持したのがパーカー大主教だった。










3. 第76代 ウィリアム・ロード大主教 (1573~1645)

ウィリアム・ロード大主教
 1603年、イングランドの国家と教会を45年にわたって統治してきたエリザベス女王が没し、後継者に長老主義のスコットランド教会で養育されたジェームズ1世が選ばれた。ジェームズ1世とその子チャールズ1世の治世に、ピューリタンによる共和制が確立(1649)されるまでの歴史的経緯に深く関わったのがロード大主教。

 強引にピューリタン弾圧政策を推し進め、1628年に始まったチャールズの専制政治を支えた。1637年、長老主義のスコットランドに祈祷書を押し付けようとしたため、暴動を招き、それを鎮圧するための戦いはイングランド軍の無残な敗退に終わった。

 長期議会は国家に対する反逆を理由にロード大主教に死刑を宣告した。チャールズ1世も「英国民に対する反逆罪」を理由に死刑を宣告され、ロードのあとを追うごとくに、ホワイト・ホールに特設された断頭台上で処刑された。

参照:「新カンタベリー物語」アングリカン・コミュニオン小史
   八代崇著 1987年4月19日第1刷発行
   (有)聖公会出版

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