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運命の出会い 

運命の出会い 11

バージニアの風景4IMG-0046

オハイオ州から東南に向かってウエストヴァージニア州を通過すると隣の州がヴァージニア州で、東は大西洋に面し、北は首都ワシントンに隣接している。(写真左:バージニア神学校と思われる)
1607年、小さな3隻の船でやってきたイギリス人が最初に上陸した港ジェイムスタウン(後に命名された)がある。ここに到着したイギリス人は植民地即ち大農場を開拓して本国イギリスと貿易を盛んにすることを目指していた。ドイツのルターを始めとする宗教改革者に刺激されたピューリタン達が1620年メイフラワー号で新天地を目指して上陸したのはニューヨークの北ボストンに近い港で英国のプリマスから出港して着いたため港をプリマスと名付けたといわれる。
独立戦争を経てアメリカ合衆国が誕生し、後に南北戦争に至るが、ヴァージニア州は南部に属した。歴史的な名所旧跡の多い州である。

バージニアの風景1IMG-0001
私が留学したデニソンはオハイオ州の南部にあった。オハイオ州の東南に位置する比較的小さな州ウエストヴァージニア州を通過し、隣接するかなり大きなヴァージニア州へ入る。神学校のあるアレキサンドリアは州の北部だったので、シカゴへ行くよりは近かった。それでも数時間はかかり、ケニヨンにいた時と違って会える機会は少なくなった。
神学校での勉学も厳しかったようだ。交友関係は素晴らしかった。特に日本に興味を持っていたマイナー・ロジャーズという学生とは生涯の親友となり、その後家族ぐるみで付き合うことになった。
週末には近隣の教会その他で行われた集会から講演の依頼がしばしばあった。日曜の朝晩の礼拝の補佐などもあり時間的にも私と会う余裕がなかった。
(写真右:バージニア神学校教授宅と思われる)
そのような状況下で、崇と婚約していた私は卒業までの2年間落ち着いて勉学に励むことができた。感謝祭、クリスマス、復活祭などの短い休暇には同じ寄宿舎にいた友人の家に招待され、楽しい時間を過ごした。父親が弁護士の家、会社役員の家、大農場を経営している家、一般の中流家庭など、どの家にも車が2,3台あり、地下室、セントラルヒーティングの設備あり快適だった。家族はそれぞれ違った雰囲気で、私にとってはいずれも素晴らしい体験となった。

1957年6月私は無事デニソン大学を卒業した。卒業式に成績優秀者のリストに載せられたのは嬉しかった。大学の文芸誌に、賞をとった創作文、詩などが掲載された。神学校が夏休みに入ったので、崇もシカゴへ向かう途中卒業式に列席できた。
そしてシカゴに着くと間もなく結婚式を挙げることにしていた。
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写真左:お世話になった数学教授加藤夫妻と元宣教師夫人ハリングワーツ


写真左下:親友のルームメート、シラ(向かって左)とペギー。二人とも夫はケニヨン卒で崇と知り合い。特にペギーの夫は崇が囲碁を教え上達した。日本から持参した囲碁のセットをプレゼントした。
シラとは1990年ニューヨーク州の自宅へ崇と招かれ再会した。メリーランド州に居住していたペギーはワシントン空港まで見送りに来てくれたが、50代で天国へ旅立った。



卒業時 4卒業時 1



 





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