運命の出会い5

アメリカの大学の夏休みは3ヶ月と長い。留学一年目の夏休みをキャンプ地で過ごすことにした。ルームメイトのジェーンから教えてもらったダンフォース財団が設立した小中学生から大学生にいたるまで200人余りを収容できるというその施設は五大湖の一つ、巨大なミシガン湖畔の南東側に位置する、ストーニー・レイクにあった。教育福祉関係の財団で、その目標は、青少年の「知力、社会性、信仰、体力」の4本の柱をバランスよく育成させることだった。6月初旬から一か月は小学生高学年から中学生が対象、後半は高校生以上大学生が対象だった。(写真左: キャンプ地のテントハウス)

私は前半では、小中学生の指 導者として日当を頂き、後半も学生として参加しながら、食事係として働くことによって夏期休暇中の寄宿舎代、食費を賄うことができた。アメリカ人の若者社会を知る良い機会ともなった。
現在の日本人留学生ならば、三カ月の長い夏休みは日本に戻って実家で暮らすのが当たり前のことかもしれない。航空便の発達により往復は安くて便利になったし、ドルの為替相場も当時の360円とは比較にならない程安いし、日本人の経済力も上昇したから、1950年代の留学生の苦難は想像しがたいと思う。(写真右:年少者のキャンプリーダー達、中央に洋子)

それでも私はグルー基金から、寄宿舎代、食費、小遣いまで支給されていたし、大学からは学費として奨学金がでていたので、楽な方だった。
今やボーイフレンドとなった八代崇はケニヨンから奨学金をもらっていたが、それだけでは足りず、毎年夏になると、シカゴへ出てアルバイトをして稼いでいた。毎年同じ会社、書籍の卸売のような大きな会社で働き、実績があるので、信用され、必ず採用されたという。(写真左:湖畔での食事)
全米第二の都市、シカゴはミシガン湖畔の南端に位置するので、崇はキャンプ地まで私をドライブして送ってくれると言う。彼の姉婿がミシガン大学大学院で学んでいたので、途中寄って、シカゴまで連れて行くことになった。
6月12日朝、デニソンを出発して、途中、姉婿のミシガン大近くの寄宿先により、彼を乗せて一緒にキャンプ地に着いた時は夕暮時だった。二人はキャンプの施設で一泊させてもらい翌日シカゴへ向かった。(写真右:浜辺でバレーボール)

二日後崇から届いた手紙:
キャンプを出てからシカゴに着くまで実際言語に絶するひどい目にあった。
マスキーガンを出て約30マイル、ホーランドというところから更に2マイル程出た所でとうとう車が故障、ハイウェイの脇に車をおいて如何にすべきか約3時間位考えて、挙句の果て自動車を修理する所から人に来てもらってホーランドのガレージ迄、ともかく車を押してもらって、さて聞いたところ修理代$35、しかも今日は日曜日故出来ぬとのこと、シカゴの西山・飯田両兄に電話かけたら丁度ピクニックに行っていて居らず一体どうすべきか全然目算もつかず、時間はどんどん経つし、結局そこにあった40年型シボレーを僕の車と取替えに$50出せば売るとのこと、現金は兄貴のもっていた$25しかないがと聞いたら後払いでよいとのことで、他に仕様もないので、その車を買って、シカゴに夜10時頃やっと着きました。

ところが、今年は経済恐慌でアルバイトの学生はどこでもとらないとのこと。で、僕の兄貴も友達も仕事にありつけるかどうかわからぬそうで、折角僕の言うことを頼りに出てきた連中に、ことに兄貴にはガソリン代等一切出してくれた挙句、部屋も決まらないと言う始末、実際、何とも言いようがなく、本当に困ってしまった。
洋ちゃんはやはりキャンプ行ってよかった。今年の様子では、とても仕事を見つけるのは初めての学生には無理かもしれない。僕自身まだ去年の会社で働けるかどうかも分からないんだから、心細い話、こんなことなら、キャンプ・ミネワンカに僕も行くんだったと思った。 明日は朝早く起きてともかく会社に行って来る。ではまた。I love you. 崇
(写真上:陽に焼けた洋子が左から2番目に)
この先、私がミネワンカのキャンプに滞在中、彼は毎日欠かさず私に手紙を書いてくれた。

翌6月14日の手紙
今朝早くから起きて、早速兄貴を連れて元の会社に行ってみた。過去二年の成績が幸いして、僕は無事雇われたけれど、兄貴の方は今年は新しい人は一切採らないと言う建前によって見事断られ、それから一日足を棒にして彼の仕事を見つけについて廻ったけれど、良い仕事もなく、第一彼も選り好みしたりするので、到底、2,3日中に見つかりそうにない。
僕はともかく明日から出勤、まず借金を返すのに一か月位かかるだろうと思う。色々あれもこれも買いたいと思ってたけれど果たしてどれだけ望みが達するやら、ともかく今夏の終わりにはもう少し高級な車を買いたいと思っている。
その後キャンプの様子はどう?食事は?まだキャンプが始まらないからちょっと淋しいだろうね。しかし今のシカゴの様子を見てたら、洋ちゃんは来なくてよかったと思う。シカゴに遊びに来るのはよいが、働くのは今年は難しそうです。そのうち月給がちゃんちゃんと入るようになったら洋ちゃんの欲しいものを買うようにする。(写真右:湖上でカヌーやボート遊びをする)

さすがに自動車三日間運転したせいか、とても疲れています。よく事故も起こさずに来たものだと感心する位。生命だけでも安全だったのは良いことだと思うね。洋ちゃんも体に気をつけなさい。風邪などひかぬように。僕は風邪で困っている。
写真は目下「懐さむし」故まだ出していません。なるべく早く出すようにする。何か欲しいものがあれば言って来なさい。あと一週間もすれば給料日だろうと思う。
ではまた、忘れずに返事を下さい。6月14日 I love you. 崇
写真左:砂丘に集まって講座を聴くキャンパー達)

出勤第一日、ともかく済ませてぐったりして帰って来た。一日歩きどうしで本を持ち運ぶのだからかなり疲れる。2,3日したら、少し慣れるとは思うが・・・
ここは暑い。大体95度( 華氏)位。汗があとからあとから流れてきて、汗もができて困っている。やはりキャンプは涼しくていいね。せいぜいよく勉強しなさい。僕は到底、勉強などできそうにないわ。
中略
ともかく宿所も職も一応決まったし、ほっとした。今年は首が危ないからあんまりさぼれない。
どうだいキャンプの様子は?淋しいだろうけれど、そこにいる方が天国だから、せいぜい毎日、テニス、ピンポン、水泳、好きなことをして、陽に焼けることですな。
ともかく朝早く起きねばならぬことは大変です。朝6時半ころ起きて(7時出勤の時は5時半)サンドイッチを作り、40分かけて会社に行く僕の様子を想像できるかい?お米を研いで飯を炊いてるところなどケッサクだと思う。アメリカに来たおかげで、アイロンかけから簡単なさいほう(裁縫)まで覚えたのだから偉いものである(と思わない?)
せめて、そこが70マイル位なら、土曜毎に行けるんだが(自動車さえO.K.ならね)そのうちに会えるだろうけれど、待ち遠しい。洋ちゃん、ちゃんと返事くれよ。でないと、イライラして自動車にひかれんとも限らないからね。怪我しないように。泳ぐのだけはよく注意して。ではさよなら、ワガママさん、I love you. 崇

アメリカの大学の夏休みは3ヶ月と長い。留学一年目の夏休みをキャンプ地で過ごすことにした。ルームメイトのジェーンから教えてもらったダンフォース財団が設立した小中学生から大学生にいたるまで200人余りを収容できるというその施設は五大湖の一つ、巨大なミシガン湖畔の南東側に位置する、ストーニー・レイクにあった。教育福祉関係の財団で、その目標は、青少年の「知力、社会性、信仰、体力」の4本の柱をバランスよく育成させることだった。6月初旬から一か月は小学生高学年から中学生が対象、後半は高校生以上大学生が対象だった。(写真左: キャンプ地のテントハウス)

私は前半では、小中学生の指 導者として日当を頂き、後半も学生として参加しながら、食事係として働くことによって夏期休暇中の寄宿舎代、食費を賄うことができた。アメリカ人の若者社会を知る良い機会ともなった。
現在の日本人留学生ならば、三カ月の長い夏休みは日本に戻って実家で暮らすのが当たり前のことかもしれない。航空便の発達により往復は安くて便利になったし、ドルの為替相場も当時の360円とは比較にならない程安いし、日本人の経済力も上昇したから、1950年代の留学生の苦難は想像しがたいと思う。(写真右:年少者のキャンプリーダー達、中央に洋子)

それでも私はグルー基金から、寄宿舎代、食費、小遣いまで支給されていたし、大学からは学費として奨学金がでていたので、楽な方だった。
今やボーイフレンドとなった八代崇はケニヨンから奨学金をもらっていたが、それだけでは足りず、毎年夏になると、シカゴへ出てアルバイトをして稼いでいた。毎年同じ会社、書籍の卸売のような大きな会社で働き、実績があるので、信用され、必ず採用されたという。(写真左:湖畔での食事)
全米第二の都市、シカゴはミシガン湖畔の南端に位置するので、崇はキャンプ地まで私をドライブして送ってくれると言う。彼の姉婿がミシガン大学大学院で学んでいたので、途中寄って、シカゴまで連れて行くことになった。
6月12日朝、デニソンを出発して、途中、姉婿のミシガン大近くの寄宿先により、彼を乗せて一緒にキャンプ地に着いた時は夕暮時だった。二人はキャンプの施設で一泊させてもらい翌日シカゴへ向かった。(写真右:浜辺でバレーボール)

二日後崇から届いた手紙:
キャンプを出てからシカゴに着くまで実際言語に絶するひどい目にあった。
マスキーガンを出て約30マイル、ホーランドというところから更に2マイル程出た所でとうとう車が故障、ハイウェイの脇に車をおいて如何にすべきか約3時間位考えて、挙句の果て自動車を修理する所から人に来てもらってホーランドのガレージ迄、ともかく車を押してもらって、さて聞いたところ修理代$35、しかも今日は日曜日故出来ぬとのこと、シカゴの西山・飯田両兄に電話かけたら丁度ピクニックに行っていて居らず一体どうすべきか全然目算もつかず、時間はどんどん経つし、結局そこにあった40年型シボレーを僕の車と取替えに$50出せば売るとのこと、現金は兄貴のもっていた$25しかないがと聞いたら後払いでよいとのことで、他に仕様もないので、その車を買って、シカゴに夜10時頃やっと着きました。

ところが、今年は経済恐慌でアルバイトの学生はどこでもとらないとのこと。で、僕の兄貴も友達も仕事にありつけるかどうかわからぬそうで、折角僕の言うことを頼りに出てきた連中に、ことに兄貴にはガソリン代等一切出してくれた挙句、部屋も決まらないと言う始末、実際、何とも言いようがなく、本当に困ってしまった。
洋ちゃんはやはりキャンプ行ってよかった。今年の様子では、とても仕事を見つけるのは初めての学生には無理かもしれない。僕自身まだ去年の会社で働けるかどうかも分からないんだから、心細い話、こんなことなら、キャンプ・ミネワンカに僕も行くんだったと思った。 明日は朝早く起きてともかく会社に行って来る。ではまた。I love you. 崇
(写真上:陽に焼けた洋子が左から2番目に)
この先、私がミネワンカのキャンプに滞在中、彼は毎日欠かさず私に手紙を書いてくれた。

翌6月14日の手紙
今朝早くから起きて、早速兄貴を連れて元の会社に行ってみた。過去二年の成績が幸いして、僕は無事雇われたけれど、兄貴の方は今年は新しい人は一切採らないと言う建前によって見事断られ、それから一日足を棒にして彼の仕事を見つけについて廻ったけれど、良い仕事もなく、第一彼も選り好みしたりするので、到底、2,3日中に見つかりそうにない。
僕はともかく明日から出勤、まず借金を返すのに一か月位かかるだろうと思う。色々あれもこれも買いたいと思ってたけれど果たしてどれだけ望みが達するやら、ともかく今夏の終わりにはもう少し高級な車を買いたいと思っている。
その後キャンプの様子はどう?食事は?まだキャンプが始まらないからちょっと淋しいだろうね。しかし今のシカゴの様子を見てたら、洋ちゃんは来なくてよかったと思う。シカゴに遊びに来るのはよいが、働くのは今年は難しそうです。そのうち月給がちゃんちゃんと入るようになったら洋ちゃんの欲しいものを買うようにする。(写真右:湖上でカヌーやボート遊びをする)

さすがに自動車三日間運転したせいか、とても疲れています。よく事故も起こさずに来たものだと感心する位。生命だけでも安全だったのは良いことだと思うね。洋ちゃんも体に気をつけなさい。風邪などひかぬように。僕は風邪で困っている。
写真は目下「懐さむし」故まだ出していません。なるべく早く出すようにする。何か欲しいものがあれば言って来なさい。あと一週間もすれば給料日だろうと思う。
ではまた、忘れずに返事を下さい。6月14日 I love you. 崇
写真左:砂丘に集まって講座を聴くキャンパー達)

出勤第一日、ともかく済ませてぐったりして帰って来た。一日歩きどうしで本を持ち運ぶのだからかなり疲れる。2,3日したら、少し慣れるとは思うが・・・
ここは暑い。大体95度( 華氏)位。汗があとからあとから流れてきて、汗もができて困っている。やはりキャンプは涼しくていいね。せいぜいよく勉強しなさい。僕は到底、勉強などできそうにないわ。
中略
ともかく宿所も職も一応決まったし、ほっとした。今年は首が危ないからあんまりさぼれない。
どうだいキャンプの様子は?淋しいだろうけれど、そこにいる方が天国だから、せいぜい毎日、テニス、ピンポン、水泳、好きなことをして、陽に焼けることですな。
ともかく朝早く起きねばならぬことは大変です。朝6時半ころ起きて(7時出勤の時は5時半)サンドイッチを作り、40分かけて会社に行く僕の様子を想像できるかい?お米を研いで飯を炊いてるところなどケッサクだと思う。アメリカに来たおかげで、アイロンかけから簡単なさいほう(裁縫)まで覚えたのだから偉いものである(と思わない?)
せめて、そこが70マイル位なら、土曜毎に行けるんだが(自動車さえO.K.ならね)そのうちに会えるだろうけれど、待ち遠しい。洋ちゃん、ちゃんと返事くれよ。でないと、イライラして自動車にひかれんとも限らないからね。怪我しないように。泳ぐのだけはよく注意して。ではさよなら、ワガママさん、I love you. 崇