グランビルの町とデニソン大学の風景

グランビルは小さな大学町(カレッジタウン)、約千人の大学生、その一割を占める大学の教員、さらに職員とその家族が人口の大半を占める。全寮制だから、学生の去った夏休みなどの休暇にはひっそりと静まりかえる。
町の中心を東西に走るブロードウェイは、両側にたっぷりと駐車できる余地があり、広い歩道は大木の並木で覆われている。
中央でメインストリートが南北に垂直に交わり、その四つ角には、それぞれ四つの教会(バプティスト〈洗礼派〉、メソディスト、プレスビテリアン〈長老派〉、エピスコパル〈聖公会〉の各派)が陣取っていた。(カトリック教会も近くに並んで建っていた)
各派の教会はそれぞれ形と大きさは違うが、塔の上には十字架と鐘楼がある。米国の小さな田舎町では、こうして中央にいろいろな派の教会堂が集まっていることが多い。西へ西へと開拓していった人々の精神的支えがキリスト教であったことを物語っている。
ブロードウェイに面して、町役場、郵便局、銀行、ドラッグストア、グロッサリーストア、レストランなどが、ゆったりと立ち並んでいる。

メインストリートを北西方向に斜めに、なだらかな坂を上がって行くと大学の正門があり、カーブしているその道を更に上へ辿って行くと、丘の頂上に建つ赤煉瓦のチャペルに行きつく。
チャペルの高い塔の先端は白く、遥かかなたからよく見える。樹木に覆われた、なだらかな丘全体がキャンパスになっていて、そのあちこちに教室や事務所を擁する数々の建物、図書館、体育館、優に十を超える寄宿舎、食堂、総長の邸宅などが配置されている。
写真上:チャペル
左:大学の正門
右下:総長の邸宅
町の反対側に向かって丘を下ると視界が開け、大きな体育館、フットボール・フィールド、テニスコートなどの球場が燦々と太陽の光を浴びてその先の林まで広がっている。
デニソンはアメリカで最も美しい三大キャンパスの一つに数えられると聞いた。寄宿舎の食事のよさについてもトップの十指に入るとのこと。
このような美しい、豊かで、広大なカレッジだとは、想像を絶していた。まだ夢の続きを見ているようだった。
写真左下: 正門からチャペルへいたる道

加藤教授宅で日本からの旅の体験を語りながら、アメリカン風の朝食を頂き、少し休憩させて頂いた後、教授は車でキャンパスを案内しながら、私の棲みかとなる寄宿舎へ連れて行って下さった。
女子新入生には三つの療があり、ブロードウェイに沿った三階建ての「ストーン・ホール」が私の寄宿舎だった。ガラス張りの重い扉を押し開けて中に入ると、目の前にある幅の広い階段を二階まで上がる。左手の最初の部屋が私の部屋だった。
しばらくすると、栗色の毛をショートカットにし、縁のある眼鏡をかけた女の子が入って来た。身長は百七十センチはあるだろう。
「ヨーコね。あなたのルームメート、ジェーン・アーブよ」と明るい声で握手を求めてきた。自己紹介が始まった。
「はじめまして。日本から来たヨーコ・クヤマです。よろしくお願いします。相手が日本人だって、知っていたの?」まずそれを確認したかった。

「入寮の書類に、外国人と同室を希望するっていう欄があって、そこにチェックをいれておいたのよ」
ああ、よかった。私は大学側の配慮に感謝した。同じ年に入学した女子の外国人は私のほかにドイツ人一人だったから、ひょっとすると希望者の倍率は高かったのかもしれない。
「外国人とルームメートになれるなんて特権だわ。日本のこといろいろ教えてね。楽しみだわ」
積極的で利発そうな女性だった。車で一時間ほどの距離にあるオハイオ州の首都コロンバスに住む両親と妹三人、弟一人がいた。世話好きなご両親で、初めての休暇、十一月の感謝祭には家に招待されて、家族同様に過ごすことになる。

グランビルは小さな大学町(カレッジタウン)、約千人の大学生、その一割を占める大学の教員、さらに職員とその家族が人口の大半を占める。全寮制だから、学生の去った夏休みなどの休暇にはひっそりと静まりかえる。
町の中心を東西に走るブロードウェイは、両側にたっぷりと駐車できる余地があり、広い歩道は大木の並木で覆われている。
中央でメインストリートが南北に垂直に交わり、その四つ角には、それぞれ四つの教会(バプティスト〈洗礼派〉、メソディスト、プレスビテリアン〈長老派〉、エピスコパル〈聖公会〉の各派)が陣取っていた。(カトリック教会も近くに並んで建っていた)
各派の教会はそれぞれ形と大きさは違うが、塔の上には十字架と鐘楼がある。米国の小さな田舎町では、こうして中央にいろいろな派の教会堂が集まっていることが多い。西へ西へと開拓していった人々の精神的支えがキリスト教であったことを物語っている。
ブロードウェイに面して、町役場、郵便局、銀行、ドラッグストア、グロッサリーストア、レストランなどが、ゆったりと立ち並んでいる。

メインストリートを北西方向に斜めに、なだらかな坂を上がって行くと大学の正門があり、カーブしているその道を更に上へ辿って行くと、丘の頂上に建つ赤煉瓦のチャペルに行きつく。
チャペルの高い塔の先端は白く、遥かかなたからよく見える。樹木に覆われた、なだらかな丘全体がキャンパスになっていて、そのあちこちに教室や事務所を擁する数々の建物、図書館、体育館、優に十を超える寄宿舎、食堂、総長の邸宅などが配置されている。
写真上:チャペル
左:大学の正門
右下:総長の邸宅

デニソンはアメリカで最も美しい三大キャンパスの一つに数えられると聞いた。寄宿舎の食事のよさについてもトップの十指に入るとのこと。
このような美しい、豊かで、広大なカレッジだとは、想像を絶していた。まだ夢の続きを見ているようだった。
写真左下: 正門からチャペルへいたる道

加藤教授宅で日本からの旅の体験を語りながら、アメリカン風の朝食を頂き、少し休憩させて頂いた後、教授は車でキャンパスを案内しながら、私の棲みかとなる寄宿舎へ連れて行って下さった。
女子新入生には三つの療があり、ブロードウェイに沿った三階建ての「ストーン・ホール」が私の寄宿舎だった。ガラス張りの重い扉を押し開けて中に入ると、目の前にある幅の広い階段を二階まで上がる。左手の最初の部屋が私の部屋だった。
しばらくすると、栗色の毛をショートカットにし、縁のある眼鏡をかけた女の子が入って来た。身長は百七十センチはあるだろう。
「ヨーコね。あなたのルームメート、ジェーン・アーブよ」と明るい声で握手を求めてきた。自己紹介が始まった。
「はじめまして。日本から来たヨーコ・クヤマです。よろしくお願いします。相手が日本人だって、知っていたの?」まずそれを確認したかった。

「入寮の書類に、外国人と同室を希望するっていう欄があって、そこにチェックをいれておいたのよ」
ああ、よかった。私は大学側の配慮に感謝した。同じ年に入学した女子の外国人は私のほかにドイツ人一人だったから、ひょっとすると希望者の倍率は高かったのかもしれない。
「外国人とルームメートになれるなんて特権だわ。日本のこといろいろ教えてね。楽しみだわ」
積極的で利発そうな女性だった。車で一時間ほどの距離にあるオハイオ州の首都コロンバスに住む両親と妹三人、弟一人がいた。世話好きなご両親で、初めての休暇、十一月の感謝祭には家に招待されて、家族同様に過ごすことになる。