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交遊十話・その九・毎日新聞

リー先生   主教ミカエル八代斌助

尊いものは隠されているし、麗しいものはまだ悟られずにいる。日本に六十年も滞在するレオノラ・イー・リー先生も、そのような一人だと思う。

 ミス・リーと八代斌助主教
先生は、大正九年(1920年)ロンドン大学を卒業、パリ留学を終えて、カナダの高校の校長を務め、昭和二年(1927年)神戸松蔭女子学院に赴任、それ以来、同学院短期大学長を経て、新設の四年生大学の中心教授となり、甲南大などにも教鞭をとられ、さらに外国人子弟の教育機関である聖ミカエル国際学校の校長も三十三年間も務められている。
 
先生は、偉大な宗教家である。困難な時代に対応する宗教家の態度は、その国の宣教を支配する力であり、又キリスト教の歴史は、宣教師の殉教と苦難の歴史である。
 
さきの第二次世界大戦は、英米人にとっても日本人にとっても、恐ろしいことであった。

国際都市神戸からも、私の親しい外国の友人が一人、二人と去って行ったが、帰国できない英米国籍の外人もたくさんいた。老齢と日本人との国際結婚のためであった。
 
その時、先生は帰国することを断念された。「敵国」にとどまって、帰国できない英米人を守ろうとされたのである。自らの国際学校を閉鎖して、残留している英米人のための食糧配給所をつくり、馬肉、油、野菜、魚などを集めて、兵庫県外事課に協力し、配給をやりとげられた。それだけではない。空襲ともなれば町内の防空班と協力して、防火に務められ、家を焼かれ、病にたおれた日本人たちに、広い自宅を開放された。

 ある晩、私が先生の家を訪ねると、慌てて押し入れの中に隠れようとする青年将校がいた。話を聞くと、この青年将校は神戸出身で、中国で罪の無い老女を殺したことが心の底にこびりついて苦しんでいたが、今、リー先生の話を聞いて、初めて心が休まる思いをしたと言った。


ランベス会議出席の折_0001
 戦争中、日本の教会が伝道に、宣教に力を失ったころ、先生は黙々と宗教家としての仕事をされていたのである。
 戦後、GHQが招いた上海のヨハネ大学学長が、日本の英語教育を調査したことがあったが、その時、リー先生の英語教育は模範的であると絶賛した。
 
事実、先生の教育は厳格で、少しの妥協も許さないものであった。私の妻は、先生の短大で、単位が足りないため、ついに卒業証書をもらえなかった。しかし、その教育方針が分かった時、多くの人たちが先生の学校に入学した。

 先生は、厳格一本ではない。教え子が外国へ留学するとなれば、時にはその国まで行くなど、色々と世話をされる。美しい人間教育の典型である。

 私はいつも先生の人となりに心を打たれる。
 終戦直後、昭和二十年(1945年)八月十七日、東久邇宮が総理大臣になられた時,先生は、賀川豊彦先生とともに、内閣の顧問に要請された。「英国は四回敵にやられました。日本は今度が初めてです。日本人のことは、日本の手でやれるはずです。」こう言って、先生は断られた。

 これも終戦直後の、まだ食糧不足と混乱が続いている時のことである。大阪中央放送局で、神戸の外人の子弟たちが、ラジオ放送したことがあった。当時はまだ、自動車もないころで、先生は馬車に十二カ国の少年少女を乗せて、神戸から大阪まで行かれ、国際親善の放送をされた。

 タクアンづけとみそ汁が嫌いな純粋な英国人。それでいて、日本人を尊敬し、その生活に敬意を持つ先生こそ、国際親善に尽くす理想的な姿である。

写真左上:八代斌助主教の忠実な秘書であり、身近な協力者であったミス・リー
写真右下:1958年のランベス会議にロンドンを訪れた八代斌助主教(前列右)

日本聖公会総裁主教 八代斌助
[交遊十話・その九・毎日新聞  1966年4月27日版より]
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