「大きな祝いごと」 横浜教区主教 ラファエル 梶原史朗
八代崇主教様が本年還暦をお迎えになったとお聞きし、これは全く日本的習慣にしか過ぎないと思いつつ、でもどういうわけか北関東教区の皆様と共に、心からこれをお喜びしたい、これは嬉しいことなのだという思いで一杯になります。

実は、私も来年にはその還暦を迎えることになります。そういう立場から一寸考えてみましたが、およそ還暦を迎えるということはやはり、これは大きい祝いごとであり、感謝すべきことであると思いました。
人生六十年、十二支の輪廻が五めぐりして、ふつうは人生の終わり頃に当たるのに、なお、たまたま健在であるということは、ただそれ丈の理由で天の神に感謝をささげるべきなのでありましょう。
しかし、また更に一歩すすめて六十歳からの生涯というものはそれは或る意味で、今までの人生とはまことに違った新しい人生であるような気がするのです。今までの向う見ずな力まかせの生活ぶりが、何か円熟した静かさの境地を漂わせ始めるような予感がいたします。
さて、八代主教様は二度の大手術を克服して、頼まれればお断りにならず何ごとにも精力的に取り組まれます。
還暦をお迎えになった主教様を教区の皆様がいよいよお助けして、今まで通り,そして更に今までとは一つまた違った新しいご祝福の道を進んでゆかれますようお祈りいたします。
写真は梶原史郎主教:ロンドンのビッグ・ベンの愛称で知られる大時計を背景に。
八代崇主教様が本年還暦をお迎えになったとお聞きし、これは全く日本的習慣にしか過ぎないと思いつつ、でもどういうわけか北関東教区の皆様と共に、心からこれをお喜びしたい、これは嬉しいことなのだという思いで一杯になります。

実は、私も来年にはその還暦を迎えることになります。そういう立場から一寸考えてみましたが、およそ還暦を迎えるということはやはり、これは大きい祝いごとであり、感謝すべきことであると思いました。
人生六十年、十二支の輪廻が五めぐりして、ふつうは人生の終わり頃に当たるのに、なお、たまたま健在であるということは、ただそれ丈の理由で天の神に感謝をささげるべきなのでありましょう。
しかし、また更に一歩すすめて六十歳からの生涯というものはそれは或る意味で、今までの人生とはまことに違った新しい人生であるような気がするのです。今までの向う見ずな力まかせの生活ぶりが、何か円熟した静かさの境地を漂わせ始めるような予感がいたします。
さて、八代主教様は二度の大手術を克服して、頼まれればお断りにならず何ごとにも精力的に取り組まれます。
還暦をお迎えになった主教様を教区の皆様がいよいよお助けして、今まで通り,そして更に今までとは一つまた違った新しいご祝福の道を進んでゆかれますようお祈りいたします。
写真は梶原史郎主教:ロンドンのビッグ・ベンの愛称で知られる大時計を背景に。