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「六十にして耳に順う」

「六十にして耳に順う」

中部教区主教 サムエル法用 渉主教

 北関東教区の信徒・教役者諸兄姉の上に神様の祝福がありますように、特に八代主教様の上に豊なお守りがありますように祈ります。

 法用主教2縮小
さて、今年、日頃から敬愛する八代主教さまの還暦のお祝いを申し上げることを光栄と思っております。

人生ひとまわりを祝うことができることは、本人の意識とは別に、深いい神様の一人一人の人間へのご配慮があると感じております。

日本の古くからの習慣のもつ深い知恵もさることながら、人生六十歳は、大きな区切りであることだけは確かな事です。ある学者は60歳を中年期から老年期への過渡期の始まりと位置づけており、熟年から円熟期への出発であると言えます。本当に素晴らしいと同時に、一つの警告が底流となって来る年代です。主教様は二つの大手術を乗り超えられた訳ですが、精神的内的警告はすでにはじまっていたのかもしれません。

 法用主教1縮小
孔子は「われ五十.にして天命を知り、六十にして耳に順う。」と言いました。その意味するところは何であれ、六十歳を迎えることの出来た感謝と喜びと、人生後半の課題の完成に向かって期することも多かろうと推察し、神様のお導きを祈っております。

 また、この年を憶えて祝おうとされる北関東教区の皆さまの情愛の豊かさに感服いたしております。昨今、ともすれば杓子定規に事がとらえられ、人間心情の豊かさを失いがちになる時に、このような慶祝の企画に感じ入っております。北関東教区の上に、教区を支える皆々様のうちに、更に人その全体を愛し、敬う心が強められていきますようにと祈ってやみません。
写真は1992年神戸で開かれた日本聖公会総会の時、八代崇と一緒に。
写真上:右端が法用主教。
写真下:中央が法用主教。

北関東時報169号に寄稿された文  1991年8月4日

法用 渉主教様は八代崇と同年齢でしたが、1997年3月崇の死後、半年後に天に召されました。(洋子記)

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