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羊どしに生まれて

羊どしに生まれて
還暦の誕生日(1931年7月16日生まれ)を迎えて   八代崇

 干支(えと)そのものは、中国から来たせいか、十二支には、日本古来の動物でないものがあります。龍(辰たつ)のような架空の動物はさておいて、虎や羊なども、日本ではなじみのない動物ではなかったでしょうか。
 
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羊というと、おとなしい、柔順な動物というイメージが浮かびます。そのせいか、「おれは羊どしなんだよ」と悪友に言ったら、「ああ、羊の皮をかぶった狼ね」という答えが返ってきました。
  
 英語で「ブラック・シープ」(黒い羊)という表現があります。たいていの羊は白くて、おとなしいが、中にはとんでもない、悪い羊がいます。それが「ブラック・シープ」だとすると、さしずめ、わたしは「ブラック・シープ」かも知れません。ともかく、天邪鬼(あまのじゃく)に出来ていて、みんながやっていることなら、やらないと我を張るようなところが、わたしにはあるようです。それをごまかすためか、「付和雷同はいけません」などと言って廻ります。

 神戸で生まれ育ったせいで、動物は動物園でしか見たことがない人間でしたから、初めてアメリカで見た羊の群れには圧倒されました。しかも、どの羊もわたしには同じに見えるのです。主イエスは九十九匹の羊のたとえの中で、失われた一匹の話をされましたが、わたしが羊飼いなら、羊が一匹いなくなっても、とうてい判らないだろうと思いました。
 
 崇還暦祝い1縮小
しかも、よく見ると、羊というのは、汚くて、臆病そうなくせに、強情で、自分勝手に動き回っていて、そのくせ間抜けなようにも思われて、これでは「飼うものなき羊」とは、どうしようもない羊の群れを言っているのだなと感心したことを思い出しています。
 
 しかし主イエスはその羊についてやさしい言葉を多く残されました。良い羊飼いは羊のために命を捨てると言われましたし、羊もまた、その良い羊飼いを知る、と語られました(ヨハネ10・14)。そういう羊は主イエスに聞き従うのです。主イエスがペテロに三度までも「わたしの羊を飼いなさい」(ヨハネ21・15~17)と言われたのは、こういった、永遠の命を与えられ、だれも主イエスの手から奪うことの出来ない羊のことでした。
 
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もっとも、みんながみんな、良い羊ではありませんでした。主イエスが羊について語られたのは、神殿奉献記念祭が行われた冬のある日、神殿の境内でソロモンの回廊を歩いておられたときのことで、話された相手は主イエスがはたしてメシア(救い主)かどうか判らなかったユダヤ人たちでした。その彼らに主イエスは「あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。」(ヨハネ10・26)と語られたのです。主イエスの羊でない羊、主イエスを信じない人々、それこそが「失われた羊」です。
 
 還暦祝い4 縮小

良い羊とは、羊のために命を捨てられた良い羊飼いを「知り」、「聞き従う」羊のことです。自分はそういう羊なのか、それとも40年前にアメリカ中西部の農場でみた薄汚い羊なのか、その問いを誕生日を迎えて、もう一度出発点に戻った機会に、自分自身に問いかけてみたいと思っています。

(教区時報169号  1991年8月)

1988年、1月に脳腫瘍、8月に肺がんの手術を受けた後、回復して元気になった崇を励まそうと、
池袋のメトロポリタン・ホテル・バンケットホールで還暦の祝賀会を催して下さった。
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