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イースター・メッセージ

復活の信仰    ロシヤ正教会に学ぶ 
    
主教ヤコブ八代崇

 ここ二、三年の間に東欧、そしてソ連で生じた政治的出来事はわたしたちの予想し得なかったことだけに、幾度となくテレビで特別番組が組まれました。三月一五日の夜NHKが放映した「ロシアの心・祈りの鐘がよみがえる」もそういった番組の一つでした。

 テレビを見ていて深い感銘を受けたのは、1917年の革命以来75年間抑圧され続けてきたロシヤ正教会が、ふたたび民衆の間に、力強くその姿を現したことでした。

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 わたしが東京に出てきたのは昭和23年(1948年)で、ちょうど中国でも革命が成功した年でした。先生も学生も、まもなく全世界が社会主義になると興奮して叫んでいたのを思い出します。

 民衆を惑わすアヘンだと言われた宗教が、今や人間的制度や組織によって滅ぼされるものではないことをロシヤ正教会は示したのです。
 
 テレビで復活したロシヤ正教会の礼拝を見ていてふと思ったことは、日本だってロシヤ人や彼らの宗教とは無縁だったわけではないということでした。
(写真上:千代田区にあるニコライ堂・東京復活大聖堂)


 わたしが生まれ育った神戸という町が国際都市だったせいか、小学校のときにはクラスに中国、韓国、インド、その他の国の子どもたちがいました。その中に白系ロシヤ人(革命によって故郷を追われてきたロシヤ人)の子供もいましたが、どういうわけかそのロシヤ人の子供をいじめる役はいつもわたしに廻ってきました。わたしの名前は「ヤシロ」でひっくり返すと「ロシヤ」になるわけです。そこで、悪餓鬼一同は、「日本の乃木さんが凱旋す、すずめ、めじろ、ロシヤ、野蛮国・・・」と歌ってそのロシヤ人の子供をいじめたわけです。

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 そういうわたしが、北関東教区に来て、最初に草津を訪問しコンウォール・リー女史の墓に連れて行かれて驚かされました。お墓に詣でて、ふと横を見ると、墓石が二つ立っているのです。よく見ると、ロシヤ人の墓で、ハンセン病で亡くなられた人たちの墓でした。わたしは、その墓の前でしばらくボーッとしていたのを思い出します。

 革命で祖国を追われ、おそらく財産・持ち物のほとんどを失い、はるばる東洋の異国に逃げてきて、子供たちは日本人の悪餓鬼にいじめられ、自分は病気になってこの草津まで来てこの世での生涯を終えた。彼らに信じることのできるものなどあったのだろうか、そんな思いで墓のところに立っていました。彼らを最後まで、絶望させなかったものは何だったのでしょうか。
(写真右:聖母子像・イコン)

 
 ロシヤ正教会ということで、今一つ申し上げたいことは、昭和20年(1945年)三月十日の出来事と関連したことです。年輩の方々はその日がアメリカ空軍の爆撃隊が東京を襲い、わたしが司牧した神田基督教会も灰燼に帰した日であることを覚えていらっしゃるでしょう。
 
この地域で何千あるいは何万の人が命を失われたか知りませんが、「ギリシャ正教入門」という本を書かれた高井寿雄という人によれば、本郷地区の人々がニコライ堂を訪れて爆撃による死体収容所として聖堂を貸してほしいと申し出たそうです。その申し出を受け入れたところ、「次々にトラックが到着、その上から,下ろされるは下ろされるは、戸板にのせられた、茶褐色の、ふくれあがった七面鳥の丸焼きに似た焼死体で、教会の中はたちまち一杯になっちまった。」(23ページ)

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当時ニコライ堂の責任者であった小野主教さんは、「これらの死体が全部、身内に引きとられるまで、毎夜、教会の中で一人『リティヤ』(追悼式)を捧げていたとのことである」(24ページ)と高井氏は記しています。日露戦争のときロシヤ正教会の人々はずいぶんいじめられたと聞いていただけに、考えさせられました。
 
 行動主義的な西方教会とは対照的にロシヤ正教会を含む東方教会は静寂主義、あるいは敗北主義とでもいうか、静かに瞑想と祈りの信仰生活を守り続けてきたと言われています。国家と対決するといったことは東方ではなかったと言って、批判する人もいます。そういった見かたは、東方正教会の一面だけを見ているのではないでしょうか。
(写真上:ニコライ堂聖堂内部)
 
 キリストの十字架上の死よりも復活の方に力点を置く東方正教会の人々は、支配者がイスラム教徒となろうが共産主義であろうが、キリストは決して自分の教会を見捨てられないという確信をもって復活の勝利をひたすら待ち望み、絶望しか持ち得ないこの世のすべての人々のために執り成しの祈りを捧げてきたのだと言えます。
 
博物館になった聖堂が再び発見されて、人々に祈りの時を告げるのを見るとき、人間の力を越えた神さまの恵みを感じないわけにはいきません。

「はんの木」<榛名聖公教会・教会報>イースター号  1992年4月19日

上記の写真3枚はインターネットに掲載されたものを転用させていただきました。
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