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長男と次男

長男と次男        八代崇 

人間というものは、理解しにくいものである。人間が他の人間(あるいは神)を理解するということは容易ではない。聖書をみても、主イエスは「大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」(マタイ11・19)と言われたり、神殿で売り買いする者の台をひっくり返した暴力団まがいの人物と見られたりしている(マルコ11・15以下)。その反面、弟のラザロが死んで悲しんでいたマリアとマルタを見て涙を流された優しい主(ヨハネ11章)、あるいは失われた一匹の羊をとことん探し求める羊飼いについて語られるイエスこそがその羊飼いであるとして描かれている(ルカ15章)。新約聖書に納められなかった書物の中には、もっと違った、荒唐無稽なイエス像も示 されている。
 欽一兄と ’64,6.10_0001縮小
わたしの兄である八代学院の前理事長八代欽一主教の場合もそうであろう。日ごとお祈りを欠かさない、思いやりのある牧会者と見る人もあれば、わがままで、人の意見を全然聞かないワンマンと見る人もいる。紳士的なクリスチャンの中には、服装もだらしなく、髪には食べ物のかすがこびりついているような兄に辟易させられた人も多いであろう。そういった兄の性格が多分に、子どもの時から本家の長男として大事にされてきたことと無関係ではなさそうだ。

 兄は八代学院を創立した元神戸教区主教八代斌助の長男であり、わたしは次男である。この民主主義の世の中になったからわたしたち兄弟は適当に同格で話し合えたが、英国の王室や日本の皇室を見てもわかるように、長男と次男以下は月とスッポンである。チャールズ皇太子とダイアナ妃は新聞・雑誌にしばしば登場するが、弟たちは出てこない。日本でも、昭和天皇は国葬をもって武蔵野陵に埋葬されたが、秩父宮や高松宮は、東京の豊島が岡皇室墓地に入っている。

 欽一という名前をもじって兄は、「金(かね)が一遍に欠乏する」と言ったりしていたが、祖父欽之允が自分の名前から一字取ってつけたのがこの名前である。父斌助も兄弟が多かったが、父の姉二人のところは女の子しか生まれなかった。そこに、長男のところに長男が生まれたというので、この謹厳実直な祖父も大喜びで、名前はつける、そして、大事にした。その後我が家には子供がぞろぞろ生まれたので、あとの方の子供たちはおかまいなしと言った具合であった。しかも、後に中部教区小笠原重二主教夫人となる百合子と九州教区の椛島佐市司祭夫人となる松子の二人の叔母がかしずいて、手取り足取りで兄の面倒をみていたのだから、幼年期から専制君主となるべく定められていたのであろう。
 
欽一兄、崇、父 ’64,6.10縮小
世の中には父親と長男がうまくいかないという例がある。どうも祖父が兄を大事にしすぎたせいか、父親は私のほうをかわいがった様子がある。兄のクリスチャン・ネームはパウロ、わたしのはヤコブである。わたしのヤコブは新約聖書に出てくるヤコブでヨハネの兄弟である筈だが、兄はよく、おまえは兄エサウの相続権を奪い取ったずるい弟ヤコブだ、と冗談めかして語っていた。しかし、わたしたち二人は、十一人の兄弟姉妹の中では仲の良い兄弟だったと思う。

 兄とわたしでは年令で七歳の違いがある。わたしが小学校に入ったときには、兄は中学二年生、喧嘩にもならない。第二次大戦で兄は陸軍航空将校だったが、こちらはまだ中学生。昭和二十三年に上京して一緒になったと思ったら、その翌年には兄はさっさとアメリカにいってしまった。

 兄の後を追うようにして渡米したわたしは、一九五八年(昭和三十三年)に日本に帰ってきて、しばらく神戸教区で働いたけれど、ほどなく京都教区、さらには東京に移ったので、また、兄との関係は薄くなった。
 
そういった具合に、一緒にいた時間というのは非常に短かったが、先程述べたように兄とわたしは仲の良い兄弟だったと思う。おそらく性格がかなり違っていたので、正面衝突をしなかったのかもしれないし、次男のずるさで、わたしのほうが衝突をさけてきたのかも知れない。しかしそれだけに、絶対に心にもない妥協なぞせず、子供のような正直さで自分の我を通す、兄の長男らしさに感心させられることがしばしばあった。その反面、人情家で涙もろかったことは、多くの人が知っていることである。今、日本に戻っているブラジルの松尾司祭の船出を神戸港に見送りに行って、最後まで涙を流しぱなしだったのが、ほんの昨日のように思われてならない。
 
兄の欽一と。崇主教聖別の日縮小
教会も学校も、特定の家族の所有物ではない。すべては、神の栄光のために捧げられるべきであろう。兄の薫陶を受けた人々が、「神を畏れ、人を恐れず、人に仕えよ」という学院の建学の精神をいつまでも忘れずにいてくれれば、神のみもとで安らかに憩えるであろう。

(写真は兄の欽一主教と、崇が主教に按手された日(1985・1・15)に。最も喜んだのはこの兄であったろう。)

主教パウロ八代欽一師父  追悼文に寄せて   1991年12月25日
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