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卒業してゆく諸君へ     体育会長 八代崇

卒業してゆく諸君へ
             体育会長 八代崇

 卒業生諸君、卒業おめでとう。苦しかった一年時代、少し威張れるようになった二年時代、部の責任を負わされるようになった三、四年 ― あっというまに四年が過ぎ去った思いでしょう。これから社会に出ようとする諸君がこの四年間に掴みとったものは何だったでしょうか。企業が君たちに期待するものは何でしょうか?
 アメフト50周年記念祝賀会縮小
大学が学問・研究の府であることはだれも否定しないでしょう。しかし本当に学問に志す者は大学院に進むでしょうから、企業も諸君に学問的蓄積を期待しているとは思われません。わたしの経験からいっても、試験がすんだら憶えたことはきれいさっぱり忘れてしまうものです。企業は君たちが厳しい受験戦争を勝ち抜いて立教大学に入学できたことを評価し、サークルなどで仲間同士が好きなことをシコシコとやったのではなく、体育会に所属して、厳しく自分を鍛えぬいた点を買っているのです。練習や試合で味わった苦しさを思い出せば、会社でどんな難問にぶつかっても恐れることはないはずです。
 


アメフト部員縮小
大学で学んだことはすぐ忘れるものだと言いましたが、一生忘れないものが三つあります。第一は物の見方、考え方です。スポーツだけやるのなら、別に大学に行く必要はないわけで、大学でスポーツをやることにはそれだけの意味があると思います。すなわち、厳しい自己鍛錬を通しての知的な人間の形成です。四年間の大学でのスポーツ活動を通して、諸君は知育の面だけでなく体育の面でも秀れた人間となっているはずです。別の言い方をすれば、自分の頭で考え、考えたことを実践しうる強靭な精神と肉体を備えた人間として、諸君は学窓を去ろうとしているのです。


 アメフト祝賀会スピーチ縮小
第二に、四年間の大学生活を通して掴みとったものは、時の経過とともに消えるようなものではない真の友情です。同じ釜の飯を食べた間柄という表現がありますが、同時期に入学した同級生三千人の中で、いつまでも友人としてのつき合いをするのは、ごく少数に違いありません。四年間、部での厳しい練習を通して自己を鍛練した諸君は、それを一人自分だけでやったのではなく、常に部の先輩、同輩、後輩とともに行ったのです。つまり、苦しみも喜びもともに分かち合ったというところに、時の流れに左右されない、永続的な友情が築き上げられたのです。
 


アメフト祝賀会スピーチ2縮小
諸君が立教大学で学びとった第三のものは母校愛です。諸君が学んだのは、東大でも早稲田でも、慶応でも明治でもない立教です。ただ最近の傾向をみると、立教にも自分の偏差値に合った大学だから来たまでだといった帰属意識の低い学生が多いようです。自分はだれの世話にもならずに立教に来たのだから束縛されたくない。好きなことを四年間やって、好きなところに就職する。校友、校友と言われるのはかえって迷惑である。と考えるような学生が増えたようです。こういったタイプの学生と違って、諸君は四年間立教のために戦い続けたのです。負けて悔し涙を流し、勝って勝利の美酒に酔ったのは、諸君がだれのためよりも立教のために戦ったからでしょう。現在体育会四九会の監督コーチを見ていたら、母校愛がなければ到底出来ないようなことをしています。それぞれ会社で忙しいはずの人間が、土日をつぶし、手弁当で後輩の指導にあたるなどということは、よほどスキな人でなければ出来ないことです。

 自分の二本の足で立ち、自分の頭で考える人間となり、永続的な友情を同級生と分かち合い、母校愛に燃えて新しい社会人として学窓を去っていく諸君に、大学の期待が大きいことは言うまでもありません。卒業生の数でいえば立教は日大や早稲田に及ばないでしょう。しかし、一人ひとりが一騎当千であるとわたしは確信しています。昔武田信玄は「人は石垣、人は城」と言ったといわれています。立教が立教であり続けるためには、一人でも多くの諸君のような校友や現役学生をもつことだと思います。諸君の新しい門出を心から祝い、活躍を祈って止みません。

  立教大学体育会1985年3月発行 
 昭和59年度体育会機関紙「さきがけ」No.19

ケニヨン在学中もフットボールに熱中していた崇は立教大学体育会でも
 アメフトの部長として部員を愛した。元日には部員たちが我が家に押し寄せ、
 大いに飲み食いして楽しい時を過ごしたものです。(洋子記)
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