八代主教記念・合同礼拝における追悼文 1997. 4月29日
山田庸夫 日本聖公会・北関東教区・志木聖母教会信徒

こうして、合同礼拝の席に連なっていますと、八代主教様が、この礼拝堂のどこかにおられるような気がしてなりません。そして、葬送式のお写真よりも、もっと相好をくずして、何となくいたずらっぽい笑顔で私たちを迎えてくださっているような気がしてなりません。 (写真右:葬儀の折の写真)
八代主教様は、これはどなたも同じ思いであると思いますが、ほんとうに笑顔の素晴らしい方でした。
初めてお目にかかった時も笑顔でした。そして、最後にお目にかかった日曜日のミサの中,奉献のあとのablution(手のすすぎ)で、私が注ぐ水に手を伸ばし、手を拭かれた時も笑顔でした。
車椅子をお使いになるようになってからの主教様は、毎主日、志木聖母教会の聖餐式にご臨席下さいましたから、時々、サーバーとして手をすすぐ役目をさせて頂く機会に恵まれ、その度に優しい笑顔を向けていただきました。決して忘れられない八代主教様の笑顔です。
私が八代主教様に直接お目にかかったのは、主教様がこの教区の主教になられてからのことで、それほど古い事ではありません。同じ立教に職を奉じていたと言っても、主教様は教授として大学におられ、私は小学校におりましたので、その頃はついぞお目にかかる機会がありませんでした。ですから、八代教授がどの方なのか、お顔すら知りませんでした。
そのうち、あるきっかけから、私が文書部の一員として、教区時報の編集に参加するようになったのが、私と主教様との出会いでした。
父上の斌助主教様とは雰囲気がかなり違うので、随分似ていない親子だな、とすら思いました。
さて、この度の小冊子のタイトルにもなった「やこぶのいど」が主教様のコラムの「呼び名」に決まるまでの経緯に触れて、主教様のお人柄を偲ぶよすがといたしたいと存じます。
文書部では、毎号の教区時報に主教様には必ず何か書いて頂く事を続けて参りました。前の斎藤主教様の欄は、教務所とお住居のある大宮市桜木町に因み「桜木町より」という名称でした。八代主教様には、少し違った形で記事を頂いてはどうであろうか、例えば新聞に社説欄があるように、説教あるいは論説風のお言葉を載せる欄を設けけてお書き頂くようにしたい、こういう提案が時の西村文書部長からあり、一同それがよいと賛同いたしました。そして、それに相応しい欄の名を考えるため一同で頭をひねりました。
一般の全国紙、例えば朝日新聞には「社説」、「論壇」、「天声人語」など定着したコラムがあります。また、朝日新聞の英字紙アサヒイブニングニュースには、「天声人語」をラテン語で表現した[VOX POPULI VOX DEI](民の声は神の声)というコラムがあります。それを「主教の声」に置き換えて[VOX EPISCOPI]としようとして、八代主教様にうかがってみたのです。そうしたら、この時だけは主教様から「駄目」がでました。その題では何となく「気恥ずかしいから」と仰ったのです。
それでは、と、また文書部で考え直して、主教様の教名ヤコブのついた何かにしようという声が出て、「やこぶのいずみ」か「やこぶのいど」のどちらかに絞って考えることになりました。
主教様の教名ヤコブは、使徒のヤコブで、旧約聖書のヤコブではないけれど、「やこぶのいど」なら聖書的根拠もあるので、(ヨハネによる福音書第4章1節以下)それに決め、再度うかがいますと、今度は「それでよい。」というお許しが出ました。そして、たいそう気に入って頂けたように私たちには思えました。以来、こんにちまで、主教様の原稿が届く度に、「今度の“やこぶのいど”はどんな内容かしら」と、谷川部長はじめ楽しみに回し読みをしてきたものでした。

「やこぶのいど」はこのように、主教様の教名ヤコブに因んで名付けた欄ですから、お亡くなりになった今後は、教区時報から「やこぶのいど」が消えてしまうことになります。これは、ほうとうに淋しいことです。
でも、聖書を読んでいて、ヨハネによる福音書第4章1節以下のサマリアの女とイエスさまの記事に出合う度に主教様とそして教区時報の「やこぶのいど」を頭に浮かべることになるでしょう。故主教様のあの笑顔が、私たちの中に生き生きと甦ってくるでしょう。
主教様は、著書の「新・カンタベリー物語」の中で、ラムゼイ元カンタベリー大主教様のことを書かれておられますが、そこで、ラムゼイ大主教様を「深い学識と堅い信仰が見事な調和をなしていたといえよう。」という表現で讃えておられます。私はその言葉をそのまま八代主教様ご自身に差し上げたく思っております。
(写真左:表紙の絵 『栃木聖公教会』は八代崇自筆画)
山田庸夫 日本聖公会・北関東教区・志木聖母教会信徒

こうして、合同礼拝の席に連なっていますと、八代主教様が、この礼拝堂のどこかにおられるような気がしてなりません。そして、葬送式のお写真よりも、もっと相好をくずして、何となくいたずらっぽい笑顔で私たちを迎えてくださっているような気がしてなりません。 (写真右:葬儀の折の写真)
八代主教様は、これはどなたも同じ思いであると思いますが、ほんとうに笑顔の素晴らしい方でした。
初めてお目にかかった時も笑顔でした。そして、最後にお目にかかった日曜日のミサの中,奉献のあとのablution(手のすすぎ)で、私が注ぐ水に手を伸ばし、手を拭かれた時も笑顔でした。
車椅子をお使いになるようになってからの主教様は、毎主日、志木聖母教会の聖餐式にご臨席下さいましたから、時々、サーバーとして手をすすぐ役目をさせて頂く機会に恵まれ、その度に優しい笑顔を向けていただきました。決して忘れられない八代主教様の笑顔です。
私が八代主教様に直接お目にかかったのは、主教様がこの教区の主教になられてからのことで、それほど古い事ではありません。同じ立教に職を奉じていたと言っても、主教様は教授として大学におられ、私は小学校におりましたので、その頃はついぞお目にかかる機会がありませんでした。ですから、八代教授がどの方なのか、お顔すら知りませんでした。
そのうち、あるきっかけから、私が文書部の一員として、教区時報の編集に参加するようになったのが、私と主教様との出会いでした。
父上の斌助主教様とは雰囲気がかなり違うので、随分似ていない親子だな、とすら思いました。
さて、この度の小冊子のタイトルにもなった「やこぶのいど」が主教様のコラムの「呼び名」に決まるまでの経緯に触れて、主教様のお人柄を偲ぶよすがといたしたいと存じます。
文書部では、毎号の教区時報に主教様には必ず何か書いて頂く事を続けて参りました。前の斎藤主教様の欄は、教務所とお住居のある大宮市桜木町に因み「桜木町より」という名称でした。八代主教様には、少し違った形で記事を頂いてはどうであろうか、例えば新聞に社説欄があるように、説教あるいは論説風のお言葉を載せる欄を設けけてお書き頂くようにしたい、こういう提案が時の西村文書部長からあり、一同それがよいと賛同いたしました。そして、それに相応しい欄の名を考えるため一同で頭をひねりました。
一般の全国紙、例えば朝日新聞には「社説」、「論壇」、「天声人語」など定着したコラムがあります。また、朝日新聞の英字紙アサヒイブニングニュースには、「天声人語」をラテン語で表現した[VOX POPULI VOX DEI](民の声は神の声)というコラムがあります。それを「主教の声」に置き換えて[VOX EPISCOPI]としようとして、八代主教様にうかがってみたのです。そうしたら、この時だけは主教様から「駄目」がでました。その題では何となく「気恥ずかしいから」と仰ったのです。
それでは、と、また文書部で考え直して、主教様の教名ヤコブのついた何かにしようという声が出て、「やこぶのいずみ」か「やこぶのいど」のどちらかに絞って考えることになりました。
主教様の教名ヤコブは、使徒のヤコブで、旧約聖書のヤコブではないけれど、「やこぶのいど」なら聖書的根拠もあるので、(ヨハネによる福音書第4章1節以下)それに決め、再度うかがいますと、今度は「それでよい。」というお許しが出ました。そして、たいそう気に入って頂けたように私たちには思えました。以来、こんにちまで、主教様の原稿が届く度に、「今度の“やこぶのいど”はどんな内容かしら」と、谷川部長はじめ楽しみに回し読みをしてきたものでした。

「やこぶのいど」はこのように、主教様の教名ヤコブに因んで名付けた欄ですから、お亡くなりになった今後は、教区時報から「やこぶのいど」が消えてしまうことになります。これは、ほうとうに淋しいことです。
でも、聖書を読んでいて、ヨハネによる福音書第4章1節以下のサマリアの女とイエスさまの記事に出合う度に主教様とそして教区時報の「やこぶのいど」を頭に浮かべることになるでしょう。故主教様のあの笑顔が、私たちの中に生き生きと甦ってくるでしょう。
主教様は、著書の「新・カンタベリー物語」の中で、ラムゼイ元カンタベリー大主教様のことを書かれておられますが、そこで、ラムゼイ大主教様を「深い学識と堅い信仰が見事な調和をなしていたといえよう。」という表現で讃えておられます。私はその言葉をそのまま八代主教様ご自身に差し上げたく思っております。
(写真左:表紙の絵 『栃木聖公教会』は八代崇自筆画)