
八代崇氏を悼む 弓場亜紀子・産経新聞記者
日本聖公会首座主教の八代崇氏が12日、肺がんのために亡くなった。65歳だった。自らの病について、「前に手術したがんが骨に転移してしまって、医者に『立つな』と言われているんですよ」とさらりと言ってのける強靭さと、長い外国暮しで培ったユーモアをあわせもった八代氏は、日本聖公会の精神的な要だった。
八代氏は昭和6年、のちに日本聖公会第8代首座主教となる父、八代斌助(ひんすけ)氏と母、民代さんの二男として神戸市に生まれた。30年に米オハイオ州ケニヨン大史学科、33年にバージニア神学校を卒業。翌年、日本聖公会の司祭となった。
英留学を経て立教大学教授や、立教学院院長をつとめるなど学究肌の聖職者だったが、その優れた指導力を買われ、平成6年に日本聖公会のトップである首座主教に就任。2期目途中の逝去だった。
首座主教在任中は、9年前に手術した肺がんが3年程前に再発した時間と重なったこともあって十分に仕事はこなせなかったが、「筋金入りの知的な人で変なところで妥協しない。だから、女性司祭や、戦後50年の問題など難題続きの聖公会が混乱しそうな中で、他の誰にもまねのできないリーダーシップを発揮した」(植松誠・元日本聖公会管区事務所総主事・現北海道教区主教)という。
17日に埼玉県朝霞市の志木聖母教会で行われた葬儀・告別式の説教の中で輿石勇・同北関東教区常置委員長は、八代氏がそのリーダーシップを持ち得たのは「いつも事実をありのままに見る『謙遜』をそなえていたため」と話した。
平成7年10月から執筆していた本欄「語る」の写真撮影のために昨年10月に自宅を訪れた記者らを車椅子姿で出迎えた八代氏が、「驚いたでしょう。私、がんが足の骨に転移してしまって、折れたら困るからあんまり立てないんですよ」とざっくばらんに話してくれたことが思い出された。(産経新聞・1997・3・21)
写真: 「立てない」と脚を指す