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わが友

「わが友」


 WLキャンパス縮小シカゴ結婚写真1_20161105_0004 一口に友といっても「順境は友を作り、逆境は友を試す」とも言いますから、みんながみんなよい友ではないのでしょう。旧約聖書の箴言(しんげん)も「友の振りをする友もあり、兄弟よりも愛し、親密になる人もある」(18・24)と語っています。

 わたしにも「わが友」と呼べる友は何人かいますが、友情というものが、年齢、貧富、性別、人種、信条、社会変動、戦争、時流といったものによって左右されないものであることを教えてくれた友は、アメリカ人の友でした。

 崇とマイナー縮小マイナー・ロジャーズというこの友と知り合ったのは、ヴァージニア州アレクサンドリアの神学校で、昭和30(1955)年のことでした。三年間を共に過ごした後帰国したわたしを追いかけるように、ロジャーズ君は新婚の奥さんを伴って、宣教師として来日しました。
 
 すでに、経済復興の道を歩んでいた日本であり、大都市では比較的に楽な生活も送れたのでしょうが、九州の地方の小さな教会に派遣されたロジャーズ夫妻は、生まれたばかりのこどもを抱えて、苦労多い月日を過ごしたと思われます。
WLチャペル縮小
彼のニュースを聞かなくなってからしばらくたったころ、突然立教大学にわたしを訪ねてきてくれたのが、ロジャーズ君でした。宣教師の務めを終えたあと、ハーヴァード大学で蓮如上人に関する研究で博士号を取り、今ヴァージニア州のワシントン・アンド・リー大学で宗教学を講じているというのです。感心しているわたしに、研究休暇をとって、自分の学校に来いと強要しました。
 
 アメリカに行って改めて痛感したことは、ロジャーズ一家の徹底した日本びいきでした。わたしたちのためのアパートや車を用意してくれただけでなく、こちらがいささか迷惑を感じるほどの世話のやきかたでした。教員や学生の中で日本や日本人に批判的なことでも言うものがいれば、ロジャーズ君は相手が折れるまでくい下がって論争を続けました。
 
 ロジャーズ君はその後もしばしば来日し、龍谷大学や西本願寺で蓮如上人の御文の英訳にかかわっていましたし、平成3年にはわたしがアメリカでロジャーズ一家と再会しましたが、その夏、彼は急死してしまいました。長男は日本人女性と結婚し、次男のトーマスは、毎週金曜日のNHK教育テレビの「プラクティカル日本語講座」に出演しています。(産経新聞、1996・3・15)

写真:左上  ワシントン・アンド・リー大学のキャンパス
    右   親友のマイナー・ロジャーズ教授と崇
    左下  ワシントン・アンド・リー大学のチャペル
    右下  マイナー・ロジャー教授の姉の古い石造りの家
    左下三枚 マイナー・ロジャーズの姉と崇
           マイナーの妻のアンと洋子
           アンと連れ立って小川まで散歩
WLロジャーズ姉の家縮小縮小
追記:1年の研究休暇を利用して、崇はワシントン・アンド・リー大学で客員教授として、「イングランドにおける宗教改革」を講義しました。帰国間際の6月、大学卒業礼拝でスピーチを終えたときは、300人余りの出席者全員が感動しスタンディイング・オベーションが長い間続いたので私も涙があふれてしまいました。
 

WLマイナー・ロジャーズの姉と縮小
 ロジャーズ一家とは家族ぐるみのお付き合いをしました。写真4点はマイナー・ロジャーズの姉の家を訪ねた時のものです。ロジャーズご夫妻が来日した時は一緒に旅もしましたし、我が家に泊まったこともありました。ミセス・ロジャーズは日本語を学び大学で教授として教えるほどになりました。次男のトムは我が家の長男の結婚式にも出て披露宴ではスピーチを日本語でしてくれました。

 産経新聞には「語る」というコラムに、指定された題目で平成7年10月から9年3月10日、召天2日前の掲載分まで書きました。編集者の弓場亜紀子さんが「八代崇氏を悼む」の一文を産経新聞に載せてくださいました。(本ブログ「崇召天に際して寄せられた追悼文」の最後の文をご参照ください。月別アーカイブ2011/02 このブログを立ち上げた最初の一文です。)洋子記

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