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ケニヨン・カレッジとオハイオ州ガンビア

 3 ガウン(大学)とタウン(大学街)
  
  船と汽車とバスとタクシーを乗り継いで、やっとの思いでガンビアにたどりついた筆者が見た町は、銀行、郵便局、飲み屋が二軒あるだけで、広大なキャンパスのほかには農家が散見されるだけであった。都会で生まれ育った者にはあきれるほどの閑散ぶりであった。

 学校が始まったら、まさにこの世の地獄だった。全寮制度だったから、欠席は認められない。各科とも毎週宿題があり、テストがあったが、一番苦しめられたのが、「フレッシュマン・イングリッシュ」という必修科目であった。担任の教授は、背も低く、かなりの年配の人で、温厚そうに見えたが、実は鬼のように厳しかった。辞書を引きひき四苦八苦の思いで書き上げた宿題は、書き込む余地のないほど赤インクで添削され、落第を表すDのマークをつけて、わたしの手元に戻ってきた。一週間に三回、赤インキだらけの宿題を手にする情けなさは、いまだに忘れられない。

 しかし、鬼の教授はそれくらいのことで許してくれなかった。クラスでテキストを読ませ、発音が悪いと、わたしのところに飛んできて、何度も発音のやり直しを命じた。死にもの狂いの一年が終わった日、成績表を見て驚いた。「フレッシュマン・イングリッシュ」がCで合格となっていたのである。鬼の教授がジョン・クロウ・ランサムという高名の英文学者また文芸評論家であり、『ケニヨン・レビュー』誌の編集者であることを知ったのは、それからまただいぶ時間がたってからのことであった。

 厳しかったのは教室だけのことではなかった。全寮制なので、寮生はすぐに互いに知り合うようになったが、日本人が嫌いな学生もいた。最初の年の12月7日、その学生が自室でパーティーをするから来いというので行ってみた。数人の学生がビールのグラスを手にして待っていたが、やおらみんな立ち上がって、日本が二度とパールハーバー攻撃といった卑怯なやり方で戦争をしかけないように乾杯しよう、と言う。日本だけが悪くて戦争が起こったのではないと思っていたわたしは、回らぬ舌で「広島の悲劇を繰り返すな」と叫び返した。

 学校の中はまだよかった。教授たちも、内心はいざ知らず、表面的には親切にしてくれた。しかし、一歩大学の外に出れば、日本人など見たこともない一般の人々が、冷たいまなざしでわたしを見ているのを感じた。そうした雰囲気を恐れたわけではないが、最初のクリスマス休暇を学校の寮に残って過ごすことにした。

 幸い友達が置いていったポンコツの自動車があったので、一日、夕方からマウント・バーノンまで映画を見に出かけた。何を見たかは覚えていない。覚えているのは、映画館を出たら、雪が激しく降っていたことである。雪道を運転したことなどなかったので、恐るおそる車を走らせて帰途についた。山あり谷ありの道路を何とか通り過ぎて、大学まであと少しというところまで来たとたんに、車はツルツルと滑り出して、畑の中に落ち込んでしまった。とうてい独りの力でもとの道に押し上げることなどはできない。諦めて、歩いて大学へ向かおうとしたら、明りを灯した農家を見つけた。ひょっとしたら助けてもらえるかと思って、呼び鈴を押してみた。60ぐらいの男が出てきたが、毛色の変わったのがさっぱり通用しない英語でまくしたてるので、あっけにとられていたが、やがてわたしが日本からきたケニヨンの学生で、雪の中でエンコしたことを理解できたのか、家の裏側の車庫から大きなトラクターを出し、わたしを乗せて車のあるところに行ってくれた。手慣れた手つきで車にチェーンをかけ、あっという間に車を道路に引き上げた男は、寒いからコーヒーでも飲んでいけと誘ってくれた。

 家の中は暖房がよくきいていたし、熱いコーヒーを飲んですっかり人心地がついたわたしは、お礼に何かお世辞のひとつも言わねばと思い、あのトラックは強力だとか、この家は立派だとか、言ったことを覚えている。そのうち、机の上に置かれた額に入った若いアメリカ海軍軍人の写真に気がついたので、「これはあなたの息子さんですか。いま何をされていますか」と聞いてみた。男はそれまでの物静かな態度を変えずに、「息子は太平洋で戦死した」と答えた。

 30年ぶりに訪れたケニヨン
今年の四月、何十年ぶりかでケニヨンを訪れた。男女共学となり、学生数も倍増したため、建物は少し増えていたが、大学自体は昔と変わっていないという印象を受けた。再開発とも縁がなく、「大学が産業だ」といった雰囲気もないキャンパスであった。ガンビアのたたずまいも昔と変わっていなかったが、自動車を引き上げてくれた農夫の家はさがしてみたがわからなかった。いまもなお善意の人々が住んでいるのだろうという思いを秘めて町をあとにした。
 
「大学時報」vol.40  216号 1991 JAN. 特集 大学街


  写真は八代崇が30年ぶりに訪れたケニヨン

  

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主教のこのブログに行き当たりビックリしました。大学時報の発行年から立教学院長時代の随筆だと拝察いたします。
米国留学の頃は本当に苦学されたのですね。

Re: タイトルなし

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